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東京高等裁判所 昭和26年(ラ)177号 決定

抗告人 杉山知男

主文

本件抗告を棄却する。

理由

本件抗告理由は別紙記載のとおりであつて、これに対し当裁判所は次のように判断する。

第一点について。

原審判はその理由の冒頭において、先ず「抗告人等が昭和二十五年八月十四日、日本○○○教団を設立し抗告人がその主管者となつている」ことを認定し(中略)その中段において「右教団は前記のとおり昭和二十五年八月成立し教団の活動ようやく緒についたばかりで……」と説示しているけれども、右はその後段の説示において明らかなように、その本論とも目すべき「抗告人の右教団における宗教活動は、その社会生活における全活動と対比して僅少部分を占めるに過ぎない」ことを認定する一つの事情として、右教団の成立とその宗教活動の現況に言及したものに外ならず、而かも結局この社会生活における全活動の主たる部面が右宗教活動に存しないことを理由として改名の正当事由なしと断じたものであつて、所論指摘の如く決して右日本○○○教団が成立後日なお浅く教団の活動その緒についたばかりであるから、仏教、キリスト教のような他の既成宗教と同一に論ぜられないとして、抗告人の本件改名申立を理由なしと判断したものでないこと、その全文を通読して十分に諒承し得るところである。してみると原審判の判断には所論に謂うように、宗教成立の新古その規模の大小等によつて法律上の取扱を異にするという立場をとつた違憲の廉あることなく、所論は徒らに原判文の片言隻句を捉えてその趣旨を正解しないものであつて、到底採用することはできない。

第二点について。

しかし原審判の認定事実は、その引用の証拠によつて十分にこれを肯認することができるし、その法律上の判断も正鵠を失した瑕疵はない。なるほど原判示によれば、抗告人の生活は専ら弁護士としての収入によつて維持せられ右教団における活動は無料奉仕といつた状態であると認定しているが、この事実とその他原審判の判示する諸般の情況とによつて、抗告人の宗教活動がその社会活動全体の一部に過ぎないと断じたのであつて、その収入の源泉のいずれにあるかとの事のみによつてかかる断定を下したものでもない。もしそれ前記教団に対し他の既成宗教と法律上別異の取扱をなすとの所論については、第一点に説示するところをこの点に関する判断としてここに引用する。更にこの所論の末段において主張する如く宗教活動上の名とその他の社会活動上の名とその他の社会活動上の名とが異なる場合には、もとより社会生活上或程度の支障を来すべきは想到するに難くないところではあるが、抗告人の宗教活動とその社会活動全体との比重の軽重が前示の如くである以上、宗教上の名として通称「雄○」の称呼を用いるは格別、従前長きに亘り使用してきた戸籍上の名を変易しなければ社会生活上著しい支障を来たすという理由に乏しく、結局抗告人の本件改名申立は宗教家として名を変更するにつき戸籍法第百七条第二項にいわゆる正当の事由ある場合に該当せずと断じた原審判の見解は相当である。

第三点について。

名は個人を特定するための称呼である。われわれが社会的集団生活を営む以上各個人を他と区別する一定の標準を必要とする。それには特定の称呼即ち名を以てこれに代えるのが一番便利な方法である。この意味において名は名ずけられる当人のものであると同時に社会のものである。

若し当人の恣意によつて名の変更が許されるとしたならば、この関係は忽ち紊れて名の効用は大半その実を失うに至るであろう。戸籍法第百七条第二項が正当の事由がなければ名の変更が出来ない旨を規定したのは、かような制限を設けることは公共の福祉のため必要と認めたからである。なるほど信仰の自由は憲法の保障するところであるが、憲法の保障する自由及び権利と雖もこれを濫用してはならず、常に公共の福祉のためこれを利用する責任を負うこと並びに個人の権利自由に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り尊重すべきことがその第十二条、第十三条に前提として規定されているのである。従つて公共の福祉ということが、この憲法に保障せられた権利自由の適法なる行使の限界であつて信仰の自由といつても決して絶対無制限なものでないことは明らかである。かく考えると国家が公共の福祉のため必要であるとして制定した前記戸籍法の名の変更の制限に関する一般規定が、偶々抗告人主張のように尊名思想に立脚する特定の宗教に帰依する者に対しても他の一般国民に対すると同様、改名につき一定の制限を加うる結果となつても、右憲法の条規に反するものと謂うことはできず、憲法の信仰の自由に関する保障は、決して信仰に由来する改名に関してまで一般国民に対するそれと異なる特権を与えたものと解し得られないのである。してみると原審判が本件につき前記戸籍法の規定を適用し抗告人の申立を却下したのは正当であつて、憲法に違反した無効な法律を適用したとする所論は採用できない。

以上説示のとおり記録を精査しても原審判には事実の認定並びに法令の解釈適用に関し違法不当の廉なくいずれも相当と認められるから本件抗告を棄却すべきものとし主文のとおり決定する。

抗告理由

一、原裁判所の審判は、日本○○○教団は、宗教法人として成立後日が浅く「教団の活動ようやくその緒についたばかりであること、従つて仏教、キリスト教その他の既成宗教と同一に論じられない趣旨のことをその理由中に挙げている。なるほど、日本○○○教団は昭和二十五年八月設立したばかりであり、従つて教団の活動はまだ社会的に微小であることは所論のとおりである。しかし、およそ宗教はその成立の新古、その規模の大小等によつてその国政上の取扱を二、三にすべきものではなく、すべからく平等な取扱をしなければならない。このことは憲法の精神並びに「いかなる宗教団体も」「国から特権を受けてはならない」旨の憲法の条項からも極めて明白であると信ずる。しかるに原審判は、前記教団がいまだ社会的に有名になつていないことを理由に抗告人の改名許可の申立を却下したことは違憲違法であるといわなければならない。

二、原裁判所の審判は、抗告人は弁護士を開業しその宗教活動はその全活動中の極めて僅少な部分に過ぎないことを認定し、抗告人の「経歴や事情からみると戸籍上の名を変更しなければ生活上著しい困難を来すという理由に乏しく、結局申立人(抗告人)の本件申立は宗教家として名を変更するにつき戸籍法第百七条第二項にいわゆる正当な事由ある場合に当らないと認めるのが相当である」と判断している。抗告人が弁護士として法律実務の取扱をその職業とし、弁護士としての収入により自己の生計を維持しておることは所論のとおりである。しかしそれだからといつて、弁護士と「無料奉仕」の段階にある宗教家とが両立できないいわれは少しもないのみならず、抗告人は原審判の認定するような抗告人の「宗教活動はその全活動中極めて僅少な部分に過ぎない」ことは断じてないのであつて、事実抗告人は休養と睡眠と食事と娯楽の時間を殆んど犠牲にして稼働時間を伸長し、もつて自己の生活活動の大半を宗教活動に捧げている現状であり、断じて宗教活動は片手間の仕事ではないのである。この点原審判は事実の認定を甚しく誤つている。およそ宗教の教義をひろめ、儀式行事を行い、及び信徒を教化育成することをその生活活動の大半とする者である限り、生計の資をこれらの宗教活動によつて得るといなとを問わず等しく宗教家たることに変りないのであつて、いわゆる職業宗教家のみを宗教家の範ちゆうに属せしむべきではないと信ずる。由来仏門に入つて得度した者に対していわゆる戒名又は法名が授けられ、又キリスト教においては洗礼を受けた者にいわゆるクリスチャンネームが与えられておることは周知のとおりである。そして仏教僧侶の改名申立については戸籍法第百七条第二項に、いわゆる正当な事由ある場合として裁判所においてこれを許可していることも事実である。これは思うに宗教の伝統と慣習とを顧慮し、宗教家としての僧侶に対し改名の正当性を是認しているに他ならない。しからば等しく宗教家である以上、仏教僧侶とその他の宗教家とを法律上区別して取扱うべきいわれは全くないのであつて、原審判は事実認定を誤つたのみならず、この点において法令の解釈適用を誤つている違法に坐している。もしそれ宗教家が宗教活動上の名とその他の生活活動上の名とが同一でない場合に生活上著しい困難を来すべきことは多言を要しないところであると信ずる。

三、抗告人の本件改名はいわゆる信教の自由に基くものである。すなわち抗告人は、昭和二十二年九月日本○○○教団の前身である宗教法人○○会に入門し、名を「雄○」と改め、更に宗教、哲学等を研究中、昭和二十五年八月自ら設立者として宗教法人日本○○○教団を設立し、同教団の主管者兼聖職者として教義の宣布、礼拝、教師の養成等の宗教活動に従事し来つておることは原審判の認定するとおりである。しかも右宗教法人は、いずれも名を尊ぶべき教を説くことをその目的の一としている。思うに仏教には一種の称名思想があり、キリスト教には一種の信名思想があることは、これらの宗教の教典や祈りからも容易に観取し得るところである。そして日本○○○教は一種の尊名思想に立脚している。飜つて「信教の自由は何人に対してもこれを保障する」ことは憲法第二十条第一項の明定するところである。されば信教の自由に由来する改名に関する限り、戸籍法第百七条第二項にはこの憲法の条項に違反する無効な法規といわなければならない。しかるに原審判は憲法に違反する法規を適用した誤りに坐しているから、この点においても破棄を免かれないと信ずる。

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